水上滝太郎

お屋敷の子と生まれた悲哀かなしさはしみじみと刻まれた。 「卑しい町の子と遊ぶと、いつの間にか自分も卑しい者になってしまってお父様のような偉い人にはなれません。これからはお母様の言うことを聞いてお家でお遊びなさい。それでも町の子と遊びたいなら、町の子にしてしまいます」 と言う母の誡いましめを厳おごそかに聞かされてから私はまた掟おきての中に囚とらわれていなければならなかった。しばらくは宅中うちじゅうに玩具箱をひっくり返して、数を尽して並べても「真田さなだ三代記」や「甲越軍談」の絵本を幼い手ぶりで彩いろどっても、陰欝いんうつな家の空気は遊びたい盛りの坊ちゃんを長く捕えてはいられない。私はまた雑草をわけ木立の中を犬のように潜くぐって崖端へ出て見はるかす町々の賑わいにはかなく憧憬あこがれる子となった。 崖に射さす日光は日に日に弱って油を焦がすようだった蝉の音も次第に消えて行くと夏もやがて暮れ初めて草土手を吹く風はいとど堪えがたく悲哀かなしみを誘う。烈はげしかっただけに逝ゆく夏は肉体の疲れからもかえって身に沁しみて惜しまれる。木の葉も凋落ちょうらくする寂寥せきりょうの秋が迫るにつれて癒いやしがたき傷手いたでに冷え冷えと風の沁むように何ともわからないながらも、幼心に行きて帰らぬもののうら悲しさを私はしみじみと知ったように思われる。